源頼朝と言えば、義経殺しの悪人、清盛を裏切った恩知らずと悪いイメージがありますが、史実を見ていくとそうでもない事が分かります。
むしろ、幕末の公武合体・尊王攘夷にも似た朝廷との助け合いで、まことに良い国を作ろうとした名君…意地悪な策謀家どころか、ナイスガイな兄貴・頼朝兄さんの姿が見えてくるのです。
今日はわれらが兄貴・頼朝公で盛り上がりませう。
☆家来の贈り物を粗末にしない頼朝。
征夷大将軍任官のため、京都に向かう頼朝一行。頼朝の寝所へ家来の佐々木三郎盛綱が「鮭のすはやり」つまり、鮭とばみたいなおつまみに小刀を添え、自分の子に持たせて頼朝に献上しました。削って食べるためですね。それを兄さんは賞味します。
これがお気に召したらしく、「まちえたる人のなさけもすはやりの わりなく見ゆる心さしかな」と歌で佐々木を大いに褒めました。
殿様に少しでもおいしいモノを…という家来の心を汲み取る兄さんはあっ晴れです。ふつう、お偉い方に干物なんか出すわけありませんが、貧乏だった当時の鎌倉武士にはそうしたことしかできません。
それを笑ってほめてあげる兄さん…なんて優しいんでしょう!いや、もしかしたら目黒のさんまやネギマの殿様の落語…あるいは、
・義和団事件で放浪する西太后が差し入れられたトウモロコシの蒸しパン
(中国でも偉い人に粗末なキビ粉のお菓子を喰わすのは前代未聞。これをもとにした中華菓子は栗の餡で出来た練り菓子風)
・マッカーサー元帥が戦後の日本でようやく食べた日本の卵の目玉焼き
(ホテルで出た生臭くて悪質なクジラと魚の料理に仰天し、マトモな食べ物はキュウリサラダと卵一個分の目玉焼きしか得られない日本の飢餓状態を見て米軍支援を決行したと言う伝説。)
etc.の話みたいに、異文化・身分違いの人が食べるものを味わったらうまかった好例かも知れませんが、歴史書・吾妻鏡にのる値打ちがある逸話なのです。
☆正義の大将軍頼朝
玉井四郎助重なる豪族がおり、暴悪無比な悪事を重ねていました。ただ、勇猛果敢にして有能な人であったらしく、誰も叱れず朝廷も諫めるだけでした。それをいいことに玉井は朝廷まで侮蔑する発言を!それには兄さん大激怒。
頼朝は清和天皇の末孫を誇る源氏。そして皇室とも縁続きですから公武合体で平和をもたらした…それをないがしろにするクズに一喝!
「綸命に違背するの上は、日域に住むべからず。関東を忽緒せしむに依って、鎌倉に参るべからず。早く逐電すべしと。」
綸命(勅令)すなわち国家の掟に従わぬならば栄えある日本国の臣下として認めるわけにはいかん。おぬしは関東の鎌倉幕府を失墜させたため、御家人として保護は出来ぬ。追放の刑に処す!
カッコいい
…キャー、ニーサーン!
つまり、武士それも豪族クラスなら国家人民のために働くべきを悪行三昧、あげく公武を汚す無法者は日本国の臣下に非ず!という事です。
今の政権なんかまさしくそれだわな(笑)。民の迷惑も国家の疲弊も屁と思わない玉井みたいなのがワンサカ。八丈島にでも島流しにしちまえww
つまり、兄さんは武士の取るべき御奉公の姿勢を貫かれたわけです。でも、人材を愛し、かつ情け深い頼朝兄さんは男でした。文献は忘れましたが、その事件から数年後に、京都へ行った際のお共に玉井の名があると言うのです。
つまり、反省して社会のために尽くすようになった家来を呼び戻して役に立つ人間にしたと言う事なのでしょう。清盛でさえ俊寛を呼び戻さなかったと言うのに頼朝は悔悛した者は受け入れるのですよ!
結論
頼朝は、貧乏な家来のもてなしや贈り物をも温かく頂いて褒める心配りをする一方、無法なる悪人は厳しく懲らしめる。
が、そんな悪党でも償いを終えたら善き侍として引き立てる大度量の持ち主と言う事です。
征夷大将軍・源氏総大将・源頼朝公、万歳!
ビバ、頼朝兄さん!!
いつも来て下さる皆さん、申し訳ありません。ただ今体調不良にて清盛レビューはまとまっておりません。必ずまとめますので、お許しくださいませ。